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月山の西は大雨、東は晴天

紅葉の頃、月山に登りました。
標高1,984メートルの月山は、1,500メートルを超えるあたりまでリフトが人を運んでくれるので登山初心者の私は大助かりでした。
この月山の西に庄内平野が広がり、東にはNHKドラマ「おしん」の撮影地である西川町(にしかわまち)があります。
日本海から水分を含んで東進する雲は月山を越えられず、庄内平野に雨を降らします。そして大気は乾燥し、西川町に晴天を齎します。

秋まさに収穫期で、庄内平野でも、西川町でも、刈り取られた稲が天日干しされている風景を見かけました。
雨天の庄内、晴天の西川。

山が降水を左右し、当地の農業は、この地形と気象に調和しながら続いてきたのでしょう。
そういえば、ある農家の方が、自然は、人が回避するべきものではなく順応するべきものだと語ってくれました。出羽庄内特産の耕作する水田は一か所にかたまっていなくて、あちこちに散在していて、農作業はたいへんですが、水田一枚一枚の自然環境に合わせて、米種や農法を決めているようで、自然への順応が上手くいっているが故の、あの美味い米なのかなと思いました。

大鳥鉱山跡地再訪

「獣を殺す旅だった。」
冒頭の此の一文に異様な荒寥を感じ、若い時分の私は小説「邂逅の森」を読んだのでした。この小説に、主人公がいっとき生来の職業であるマタギを離れ、慣れない鉱山で働き、それでも地道に居場所を固め始めた矢先、ある払暁に鉱山町を破壊する大雪崩に出合う場面があります。この場面がここだと知人から教わった。それがここ大鳥地区です。 熊の肝の取引で賑わう村落、遊興の里など、大正から昭和の往時の光景を、その本は鮮明に描いていますが、この大鳥地区を、ここの一集落で中学校卒業まで暮らした人の案内で、改めて訪問したとき、そういう往時の光景、それは秋田から庄内にかけての複数のシーンが混ざり合った光景なのですが、それらが眼前に大鳥の映像として合成されて浮かんできました。大鳥の山も土地も今もそのままにそこにありましたが、資本は容易に移動して去り、人々は幾人、故郷を振り返りながら他所へ移っていったことでしょう。

でも、今また、大鳥に移り住み、大鳥を盛り立てて行こうという動きも続いているようで、逞しく感じ、明るい気持ちになります。

一方で、庄内地方を盛り立てて行こうという別の動きもあって、若い移住者に担われて、出羽庄内特産とも協力しあう形で、進行しています。



平成の大合併

その最南部に大鳥地区を持つ朝日村は、昭和29年(1954年)に3村が合併して誕生しました。そして51年後の平成17年(2005年)に改めて朝日村が他市町と合併し新制の鶴岡市がスタートしました。
「往時の朝日村では、役場が身近な存在で、行政サービスは行き届いていたが、自分たちが良ければそれでいいと小さく固まっていれば済む時代でもなくなった」という趣旨で、この合併という大仕事をやり遂げた最後の町長は、今も朝日村にあって、釣り人や登山客に重宝される宿屋を営んでいます。今も、春には熊狩りに行くのを楽しみにしているそうです。
土地には、適正な規模があるように思います。ひとわたり見渡せば、生産できる食糧と養える人口、公共サービスの必要量が直観的に把握できる海・山・野の広さ。合併前の旧鶴岡市はこの適正な規模にもう少し余裕があった。だから朝日村も困難な決定を自ら行ったのかも知れません。そんなことを想像しました。
ある時、石油が途絶し、電気と水道が止まったとき、狼狽えず暮らしを維持できる村落がここにある。そんなことを空想しました。

そういえば、私が初めて羽黒町の出羽庄内特産を訪問したとき、庄内平野を一望して感じたことは黒々と広がる収穫後の田の拡がりと、この平野が養う人口との見事な調和の予感だったような気がしてきました。朝日村と同じ日に鶴岡市に組み込まれたその羽黒町は、豊かな水と土壌に恵まれ、収穫シーズン真っ盛りです。
我らが水田オーナーたちの田んぼも、稲刈りイベントの日を迎えます。今年も、美味い米が収穫できることを祈って、この雑記を終わりたいと思います。

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