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年末の棚卸

2016年12月の最後の週、東京では御用納めの気分が漂う頃、私たちは山形県鶴岡市の大鳥集落の旅館に宿をとっていました。大鳥集落は今なおマタギの伝統が残る村で、私たちが到着した日は、その年初めてのまとまった降雪があった日でした。この時期は、宿泊客は他になく、私たちは手作りの心からのもてなしを受けた翌朝、陽も未だ昇らない暁闇に、道路の雪塊を削る除雪車のうなり声に目を覚まし、冷たい水を使い、レンタカーの雪を降ろし、十分に腹をこしらえ、それから今回の出張の目的であるところの棚卸作業を行うために、車で40分のところにある農家に向かって出発しました。

「有機栽培米つや姫30袋、特別栽培米ササニシキ40袋。」
バックヤードで私たちは、代表者のご子息の案内で、その年の新米の在庫をカウントしてゆきました。私はこの機会に、代表者その人に年末の挨拶をしようと思っていたのですが、さい前からの悪い予感が的中し、代表は農家を留守にしていました。携帯電話をかけると「昨夜から徹夜でね、未だ終わらないんだ」との由。月山方面にむかし買った土地を畑にするべく、彼は雪の中、独力で、重機を駆って抜根作業をやっていたのですが、それが思いの外てこずって、今日も当面、帰って来れない様子でした。
事務所の方が言うには、三日三晩かかっているとのことでした。私は挨拶を諦め、歳暮だけ託けて東京に帰ったのでした。幸い、棚卸作業は、ご子息としっかりしたスタッフのおかげで、滞りなく終えることが出来ました。
後日、代表からスマホにメッセージが入って「百姓だから重機でも何でも動かして百人前の仕事をしないといけない。自然栽培でポテトを作るんだ」というような威勢のよい話。元気なら良いかと、エールを返信してこの年を終えました。

価格は共生の手段

代表者にすれば、蔵に米がどのくらい置いてあるかなんて、いちいち数えなくても頭に入っているというところでしょう。そんなことより、来年のジャガイモの作付けのために、正月が来る前に畑を起こしておくことがどれだけ大事か。代表の頭の中は恐らくそんなところでしょう。儲からなければ儲かるまで田畑を拡張していく。そういう行き方の代表です。そして、その行き方は理解できます。農家に限らずそういう経営者はいっぱいいる。

けれども農業においては、会計の意義がちょっと違うのではないかと思います。
誰でも食べ物が必要だから、食べ物を作る者が一番偉い。昔の人もそう考えました。そこから更に進んで、食べ物を持ってる者が一番偉いとなりました。たとえ武力で奪おうとも。そういう風に話は進んで、不幸な歴史が紡がれたことがどれほど多かったことか。
今は、さすがに武力とは言わないが、金で買ってでも食料を持っている者が一番偉いという風潮は変わっていないように思います。
私たちはみんな食べなければいけないのですから、食べ物を持っている者には弱いです。食べ物を支配の道具に使われないために、皆がある意味では生産者にならなければならない。広い意味で生産者の側に立って考えましょうということが、最近、庄内に行く度に思うところであります。

一方で生産者だって、みんなの協力を得なければ立ち行かないはずです。だから、高いモノを売りつけてはいけないし、かといって、自らが犠牲になる必要もない。そういうところから、正しい値付けの必要性に気が付いて、正しい値付けの為にこそ、会計が重要であることに意識が向かってくれれば良いがと期待します。
農業において、価格は共生の手段なのです。
このあたりのお互いの理解の醸成が来年の課題です。

軍隊と外国商人が毛皮の値を釣り上げたので、山に入る者が増え、山が消耗し、マタギの生活が狂ってきたという物語を読んだことがあります。値段は怖い。作物が出来るだけ永遠に、出来るだけみんなに行き渡るために、丁度いい値段というものを追求するための努力を常に行わなければならないと思います。

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