出来秋時季
「できあき」とは「出来秋」と書いて、稲の実る頃、収穫の秋のことです。
農家は毎年、できあきを迎え、高揚感に踊る気持ちを注意深く抑え、整った気持ちで稲穂の海に分け入っているように見えます。壮者に狎れなく、老者に熟れなく、若者に衒いなく、昔、初めて収穫した時の気持ちそのままに、今年の収穫作業にあたっているように見えます。
刈取り後の作業
収穫された米は、昔ながらの天日干しで乾燥させる方法もありますが、今は乾燥機を使うことが普通です。
今回は、出羽庄内特産での作業工程を簡単にご紹介します。
まず、収穫された稲が、脱穀(「稲こき」のこと)されて籾(もみ)になって、フレコン(Flexible Containers)バッグに詰められます。このフレコンバッグに入った籾は、ホッパーに投入されて乾燥機に送られ水分が抜かれ、籾摺機(もみすりき)で籾すりされて玄米になり、選別計量されて、風袋(ふうたい)に封入されます。
精米は鮮度を保つために出荷の直前に行われます。精米と出荷作業は、個々の顧客のリクエストに応じるために、オーダーが集中すると徹夜作業になることもあります。
刈取りの終わった圃場
刈取りの終わった後の圃場には、都会人には珍しい来客があります。白鳥です。シベリアから越冬のために飛来したのです。庄内平野には1万羽前後の白鳥が飛来するそうです。彼らは、刈取りの終わった田んぼで落ち穂をついばんで冬を越します。
農業の労働について
通常の水田農業では、労働費が35%くらいを占めるそうです。しかし労働を会計的に把握することは非常に難しいのではないかと危惧しています。やり終えるまで働いてしまうのが農家の性のように思うからです。明日に回せない仕事、待ってもらえない仕事が多く、それにも関わらず、労働時間に成果は比例しませんし、相関関係もあるかないか怪しいところ。
「1日8時間の週5日勤務で、賃金いくら、残業代いくら、有給何日」という契約で労働力を調達することが農業には馴染まないように思います。
一般の産業は、合理的な行動がとれる自信のある領域で活動します。既知の知識の領域で活動している。これに比べて農業のフィールドにはまだまだ未知のことが多い。それにも関わらず、食料生産の宿命と使命の故に、活動せざるを得ない。それで未知ゆえに起こる困難には、労働を捧げることで対応せざるを得ない。これが農家なのだろうと思います。農家の労働は会計しにくい。
そこに更に、農業が自然環境に与えるダメージ。これを修復するコストまで計算するというのはかなりシンドイ。せめて自然農法や有機農法が、自然の植生とほぼほぼ同じ程度のダメージしか及ぼさず、従ってこれを計算せずとも免責されると言えればよいのですが、これはちょっと我田引水の考え方かも知れません。私たちはこのダメージの大きさ、修復コスト(それが可能だとして)を見積りする努力、それが困難であればせめて想像する努力を続けなければならないと考えます。
田んぼの白鳥を眺め、刈り取られた田面の水に映る空、アカタテハ、ススキ、名を知らない草花の写真に見入りながら、農家の仕事に思いを巡らせています。