新潟にて
先日、鶴岡市で開催された農家マルシェで知り合った隣県新潟の農家のお宅にご厄介になったとき、その家の女将さんが、客人の朝食の世話を済ませた後に、5キロくらいの米袋を幾枚も用意し、これに屋号や内容物の説明を印刷したシールを貼っていらっしゃいました。やがて、ご主人は自家設備で精米をして、女将さんが準備した米袋に米を詰め、軽トラに乗せ、一軒一軒、顧客を訪ねて配達をするのです。これは、農業を、米の生産と販売を、組合の手を煩わさずに行うと決めた農家にとっての基本動作なのです。
配達は一年を通じ、毎日のように、あるそうです。この日、私の車を新潟駅まで先導してくれたご主人は、いったん軽トラから降りて、笑顔で私と握手を交わし、再び軽トラを駆って、街並みの方へ、配達に向かって行きました。
5キロの米を、その努力を解ってくれる個客に、一軒ずつ届ける農家。これは、米を大量に集め、大量に販売する農業とは、鮮やかな対称をなしています。現在の国民に十分なカロリーを安価に供給するシステムは、百年後の国民に必要なカロリーを如何なるコストであっても提供できるシステムであり得るか。そんなことを考える初めての新潟行でした。
冬に向かう庄内
さて、その十日ほど前の庄内平野。この農業法人の代表は、一人で黙々と米を販売する段取りを進めていました。平素、がむしゃらで、楽天的で、出たとこ勝負が身上であるかのようなこの生産者が、しばし寡黙になり、神経質に映るこの時期を、私は初めて経験しました。大口顧客との商談推進、米の輸送。そういったことを進めているようです。田んぼのタクトを、ビジネスのタクトにシンクロさせる作業。圃場で使うのとは全然違う種類の神経を使っているのだろうと想像しました。そしてこれは未だ、代表者本人にしかできない仕事なのです。
代表は、米作りを父親から受け継ぎました。しかし販売は、組合の手を煩わすのではなく、自ら行うことを決めました。そしてその努力を行ってきました。幸い、米は極めて美味で、複数の料理人とバイヤーがこれを裏書きしてくれています。この販売の仕事は、受け継いだものではなく、代表者のオリジナルなのです。
そこで、顧客が継続する限り、農家の経営も継続しなければ、相済まないことになります。
顧客とどうやって出会い、いくらの値段をお願いし、品質と納期と物量をどのように約束し、そしてこの取引で、農家の将来はどこまで保証されたかを考える。こういったことを重要な成員と共有することが、今後の仕事なのだろうと思います。私たちは、来年の作付けに向かって生産原価管理のサポートを初めました。
生産者は、顧客を誇りに思っているはずです。そしてそれは、販売という仕事への取組の原動力になっているはずです。しかし、自分一人の仕事であるという自負は、継承の取り組みを進めなければと自省する気持ちと相俟って、11月の農家の軒下は、少々複雑な色に染まっています。十数匹いる愛猫たちも、そっと様子を伺っているようです。
収穫作業がすっかり終わった11月。気温はこの一か月で10度ほど下がり、11月下旬には5度を下回ってきました。今はまだ、凍える前の秋の余韻を湛える野辺を多く持つ町も、やがて猛烈な寒風が雪を巻き上げて吹き付ける、世界有数の地吹雪の町に変貌して行くのです。