ゴールデンウイークが終わると田植が始まります。
山の雪も解け進み、庄内平野では「鳥海山の残雪が農夫の形をとって現れたら田植の始まり」という方もいらっしゃるそうです。
これより少し前、庄内では5月に入るとすぐに、代(しろ)かきが始まります。
代かきは、水を張った田んぼの土の表面を平らにして水の深さを整えることで、田植えをし易くし、田んぼの水漏れを防ぐなどの効果があります。
昔は馬に馬鍬(まぐわ)を引かせて田の表面を平らにしていましたが、今はトラクターにハロー(harrow 馬鍬)を引かせて代かきをします。因みに、代かきの「代」とは泥の意味だという説があります。
この代かきが終わって一呼吸置くと、5月中旬からいよいよ田植えです。農家では「中旬」という曖昧な日付ではなく、5月何日からというようにもっと綿密に計画を立てます。
古く手植えの時代には、1人で1反(10アール)の水田に田植えをするのに丸一日かかっていましたが、田植え機を使うと2人一組で1日に20反(200アール=2ヘクタール)の水田に田植えをすることが可能です。機械化で生産性は10倍になりました。
田植えをしたら1週間経たないくらいで稲には新しい根が出てきます。この間、水田の水を若干深めにして苗を寒さや風から守るようにします。
いつだったか、生産者の代表が、田んぼの泥を舐めて「いい土は甘いんだ」と教えてくれました。
今年は、種もみの入手に苦労して数日工程が遅れたようですが、焦りは窺えません。
出羽庄内特産の耕作する水田は、域内80か所以上に分散しています。スタッフ総出で、これらの水田に稲の苗を植えていくのです。田んぼ毎に、有機栽培、特別栽培など耕作の基本方針が決まっています。植える苗も、「つや姫」や「コシヒカリ」「ササニシキ」など、決まっています。これをしっかり認識しながら、全員で手分けして植えていくのです。
代表の方の祖父は御年80歳を超えていらっしゃいますが、カクシャクとしたもの。その存在は、まるで現場の名誉監督のように頼もしく映ります。孫や若手スタッフが絶えず傍にいて作業の確認をしてもらっている様子です。
水田の写真をとっていると、その祖父がいつのまにか後ろに立っていて、冷たい缶コーヒーを手渡して「にやっ」。若干出遅れた今年の田植に気をもんでいた私は、その顔を見て大いに安心したものです。
農作物を作るだけが農業ではない。
今年、この農家では、地元企業と協力して田植え体験イベントをはじめて実施しました。数十人の大人と子供が泥まみれになりながら、昔ながらの手植えで、田植えを体験しました。イベントに用いた水田は、農薬量を大幅に減少し、また化学肥料は一切使ってこなかった水田なので、安心して田植え体験を楽しむことが出来たようです。
このイベントでは、田植え作業のあと、全身の泥を作業場のホースで洗い落としたら、餅つきとバーベキューのサービスがありました。
最近は餅つきをする機会などさらさらなく、今日の機会に参加者はかわるがわる杵を持ち、米をつく醍醐味を味わっていました。杵は想像通り重く、そんなにポンポンつけません。もそもそやっていると、それでも見事な餅が出来てきました。アンコにまぶして口に放り込むと、労働の後だけにやたらと入ります。そのあとは土地の名産の豚肉を使ったバーベキューです。予めドラム缶を縦に二つに割ったものを用意してくれていて、これに炭をおこして、鉄網をおいて。火を囲むとみんな友達といった感じでした。
小さな子供たちは既に食べるのにも飽きて、子供たちどうしでキャッキャと遊んでいます。
最近、ある企業の代表が教えてくれた言葉を想い出しました。「農作物を作るだけが農業ではない。」
体験の提供、趣味の涵養、生き方の提案。教育、福祉、ダイエットや健康づくりの機会、仲間づくりの機会。農業は多くのサービスを提供できる事業なのだと、今改めて考えています。
更に考えると、産業社会が人を排除する社会だとしたら、ここはすこし違う。豊かな社会の包容力が残っているのかもしれません。
田植えイベントの翌朝、出羽庄内特産では既に、「日常」が始まっていました。イベントで植え残した水田に苗を植え、スタッフ総出で、今年の田植作業が続きます。
昨日のホース、臼と杵、あのドラム缶も洗って片付けられていました。イベントは終わり、日常はやってくる。こうして今年の水田の仕事が始まったのです。
ここ庄内平野の、透明な空気と水、緑の山野の中に身を置くと、目に見えない元素の酸素や窒素などの物質循環の大きな輪の中に、稲も人も在って、それら元素が集合して、滞留して、離散して、また集合しながら、この循環は永遠に巡っていくかのように感じます。
水田で稲を育てる農家は消費者のことを知り、米を食べる消費者は農家のことを知る。そんなところから、この見えない自然の循環に思いを馳せたいと思います。