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Rice paddy Support business JPEN

稲刈りイベント

何十年、こんなに晴れやかな、ウキウキする秋を感じたことはありませんでした。
私は、春から夏にかけての季節が一番気に入っていて、それはなんだか季節も世間も上り坂で、ついでに仕事がうまく進むような気がしたからでした。
しかし、今年の秋は違いました。
清らかな晴天の下、田からも山からも馥郁たる香気が立ち上り、清澄な空気に華やかな彩りを溶かし込んでいます。圃場(ほじょう)に立っただけで香気の塊が大きなボリュームをもって身体を包み込みます。里の「ものなりがいい」とはこういう事をいうのだと、初めて実感できました。

出羽庄内特産の圃場に到着するとすぐに、働く人の表情が明るいのに気づきました。車から降りて歩き出すと、農家のご子息が挨拶してくれて、そこで幾つかのことについて、言葉を交わしました。今日の彼は表情が実に良い。豊作のおかげでしょうか。
彼の父親である出羽庄内特産の代表は、十代の頃から米作りをやっていて、代表になってからは十数年、美田を守り続けています。毎年の実りの良い理由をご子息に聞くと、土が良いことが一番目の理由。それから稲と通じ会える親父の特殊能力(野生の感)が二番目だそうです。けっこう父親のことを理解しているんだと、嬉しい気分がしました。
今日は、昔の仲間の若者が助っ人に来てくれているそうです。こういうのは非常に嬉しいです。

「今年の米は実りがいい。くず米がほとんどない。」稲穂の先を私に見せながら、板垣代表が話してくれました。

この農家では今年、水田オーナー制度というものに初めて取り組みました。一年間、一定面積の水田を借り上げた水田オーナーに、その田で収穫するお米をプレゼントするという手作り感たっぷりの、いわゆる体験型農業サービスですが、5月の田植えと10月の稲刈りをオーナーさんにも手伝って貰って大勢で愉快に楽しもうというイベントがついてきます。そして今日はその稲刈りを楽しむイベントなのでした。5月の田植えイベントは昔ながらの手植えでしたが、本日の収穫も、鎌で刈って天日に干すというレトロな農業をやります。 地元の新鋭企業のメンバーが参加し、前準備も事務も全て、運営を手伝っています。今日は40名ほどの参加者がいるそうです。賑やかな稲刈りのイベントです。

午前10時半。まず、最初に、板垣代表の稲刈りの実技指導(あっという間の指導でした。)があり、老若男女40名、とにかく田んぼに入ります。泥の深いところでは、たちまち足が抜けなくなったり、長靴が脱げたり、転倒したりと、大騒ぎです。
鎌で稲を刈るのは、ザクッという手応えが心地よく、どんどん進むのですが、刈った稲の処置が難儀です。
刈り取った稲株を幾つか束ねて、これを稲の茎をロープ代わりにして縛るのですが、スピーディーに固く縛るには、ちょっとした技術が必要です。 それから、縛った稲の束を、「杭掛け(くいがけ)」にしていきます。
畦には、大人の腕くらいの太さで、長さ2メートルくらいの棒杭が、フタヒロくらいの間隔で一列に並んで立っています。この棒杭に稲の束を、突き刺し、載せして、積み重ねていきます。出来上がった姿は大きなマツボックリみたいです。
そしてこのまま3週間、天日に干し続けるのです。途中で雨が降ったらどうするのかと尋ねると、「乾いた稲は、雨が降っても直ぐ乾く」と、ちょっと良く分からない答えが返ってきました。とにかくひとたび干し始めたら、雨でも回収はしないみたいです。それが代々の流儀なら、納得です。 それから、幾日か後には稲の束の向きを変えるために積み替え作業をして、満遍なく天日に当たるようにするそうです。

昼食は名物の芋煮。
40リットルは入ろうかというステンレスの鍋に、農家秘伝の味噌で芋(サトイモに似ています)を煮て作った「芋煮」が振る舞われました。味噌は3年漬け。炊いた米は3升。芋煮も炊飯も、家庭の火力では間に合わず、地元の食堂が調理場で煮炊きをしてくれました。 こういうリソースが、難しいことを言わずに、「頼むよ」「いいよ」で、あっという間に調達できるところが、いつもながら感心させられるところです。田植えのときのドラム缶のグリルといい、型回しといい、ジェイン・ジェイコブズならこれぞ「improvisation」と言って喝采をおくってくれそうです。

私は、芋煮と炊飯の手伝いで、車で10分ほどの食堂の調理場についていきましたが、突然の闖入者にも、調理場の人たちは百年の知己のように親切で、調理場を見学していると、ネギやらエビやら、産地やら味やらを教えてくれます。果ては、刺身を味見させてもらったり。いつもながら庄内の人の気心には感動してしまいます。

そして昼食が終わったら、やり残した面積の稲刈りをして、杭掛けをして、今日の作業は終了です。
キレイな空気を吸って、家族同伴で泥に遊び、肉体労働でコリをほぐし、うまい食事をおなか一杯いただいた水田オーナーたちの満足感やさぞや、と想像しています。
この後は、各自、村営の温泉に入るなりなんなりして、帰路につくのでした。
晴天に恵まれ、豊穣の秋を、五感で堪能した一日でありました。

饗宴と日常と

この稲刈りイベント。
その準備作業と同様、宴の後の片付けは、前述の地元企業が中心になって人知れず黙々と行っていました。これは「祭から日常に戻る」おまじないです。
そして通常業務としての稲刈りの仕事。
水田オーナーたちの田んぼは1反足らず。これに対してこの農家が耕作する田んぼは13町歩より多い。1反は約1千平方メートルで1町歩は約1万平方メートルなので、出羽庄内特産では、水田オーナーたちの田んぼの130倍の田んぼの稲を刈らなければなりません。しかも圃場は、数キロから最遠が20キロといった範囲に、90箇所くらいに分散して存在しています。しかも、稲刈りの時期を失する訳には行きません。
という訳で、農家の代表の方のお父さん(御年88歳でしたか)とご子息は、稲刈りイベントの最中も、あっちこっちの田んぼへトラクターで出かけています。

繁忙期。
忙しいけれど、都会や地元の若い人たちに少しでも楽しんで貰えればということで、出羽庄内特産は今年からこの取り組みを始めた訳です。

40年前の秋の想い出の話

出羽庄内特産に手伝いに来ている女性の運転で、用事に行った道すがら聞いた話があります。その女性の家も元は農家でした。
小学生くらいの頃、収穫期になると、家に4、5人の見たこともないおじさんやおばさんが泊まり込みで手伝いに来たそうです。見知らぬ大人が急にやってきて、子供心には少し怖かったと言います。農家の主婦たちは、手伝いに来た人たちをもてなす賄い料理に追われて、大忙し。賄い料理は、正月料理みたいに豪勢だったそうです。
当時は自動車なんてなくて、手伝いの人は、遠い道のりを歩いてやってきました。いちいち帰っていられないので、繁忙期が終わるまで農家に滞在したそうです。
今では、トラクターが出来て、そのパワーたるや素晴らしい。おかげで手伝いの手を借りる必要がすっかりなくなりました。機械力の恩恵を認識します。

けれどもここで、ある都市研究家の話しが思い出されました。高性能の農業機械は農村に余剰労働力を生じさせたが、都市は彼らに十分な雇用を生み出さなかったと。そして都市は、必要なだけの雇用を吸収して成長したあと、メガロポリスの都合だけで国家を運営するようになったと、そういう趣旨の話です。
地域再生には、特効薬は当然ながら見当たらない。ただ、地域に、輸入を置換できる機能(※1)があれば、再生の芽は見いだせるという希望が書いてありました。そして庄内地域は、幸いにもその芽吹きが見いだせる町だと思います。

田植えイベントは終わりました。
稲の天日乾燥が終わる3週間後には、思い入れの詰まったお米が、参加者たちの手許に届き始めるのだと思います。
この間、農家の収穫作業は続き、今日も忙しい毎日を送っています。
庄内の秋の深まりとともに。

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