その土が支えているものは、「食」でもあり次世代でもある。
相馬氏が父から家業を継いだのは18年前、27歳の時だった。耕作面積は創業当時に比べれば格段に広がっていたが、作物の生産性や品質面ではまだまだ改善の余地があった。父がはじめた「土づくり」を継承しながらも、何か新しいことにチャレンジできないかと相馬氏は考え続けていたという。そうした中で巡り合ったのがあの腐植だった。「私は、植物にとって最適な生育環境は森なんじゃないかと思っています。ふかふかしたあの土ではさまざまな植物が元気に育つ。同じ場所に同じ作物を植え続ける『農業』という行為は、もともと不自然なことなんです。だから、何かを工夫し続けなければ『土力』は維持できません」。
だが、この腐植土だけが唯一無二の手段だとは相馬氏は考えていない。各々の農家が、それぞれの視点からさまざまなアプローチを試せばいいのだ、と相馬氏は語る。「農業の世界には『達人』『神様』と呼ばれるぐらいすごい人たちがたくさんいます。彼らは独自の手法で素晴らしい土をつくり、維持し、地域を潤している。見習えることはまだいくらでもあると思っています」。
相馬氏は自らが手をかけている畑を見渡しながら、この畑はいったい何人の食生活を支えているのか?と自問するという。相馬氏の計算によれば、日本人1人あたり年間で13アール(300㎡)もの畑が必要だ。そしてもちろん、1年ではなく10年、20年、さらに次の世代にも引き継がれなければならないのが食を支える責任なのだ。その畑を、どのような土でこしらえられれば良いのか、作物を食べてもらう農家にも、作物を食べる消費者にも考えてほしいと相馬氏は力説する。
理論や数値で把握することも大事だが、得体の知れない土に対して、「勘」をはたらかせることも農家には求められる。そして、だからこそ見いだせる「哲学」があるのだと相馬氏は言う。「少なくとも庄内の子どもたちに、食べ物だけは大丈夫だということを伝えたいんです」という相馬氏の言葉には、誇りにも似た響きを感じる。土と向き合い、奮闘する男の矜恃。相馬氏にとって土とは、次世代に手渡すバトンのような意味があるのかもしれない。