水をテーマに庄内という地域を描く『庄内Life Village Report』第一弾。五回目の今回は、海が舞台です。漁師のリアルな1日、酒田に各地の産物をもたらした商船、そして海の守護神。同じように「水」と向き合い続けてきた陸の人々と、海の人々の、水に対する価値観の違いは、何に由来するのか。現在と過去を往復しながら、庄内の中にある「差異」に焦点を当てます。
観天望気。それは、自然と付き合うための、勘の集積。
朝6時半。山の稜線に沿って薄オレンジ色の光が放射し、少しずつ空全体が白んできた頃、男性はおもむろに、タライいっぱいに用意したイワシを次々と針に刺し、リズミカルに海原に向かって連投し始めた。餌となるイワシを約1m間隔に仕掛けたその釣り糸の全長は、実に1kmにもなる。高級魚「サワラ」を狙ったはえ縄漁である。本名・石塚博明氏。佑成(ゆうせい)という漁師名を持つその男性は、船に乗ってからすでに40年。まさに、命をかけて海と対峙し続けてきた男である。
「天気悪くて、今月はまだ2回しか漁さ出でねあんけど、今日はおめさんどのアヤがいよだの」と佑成氏。アヤとは縁起のことだろう。コントロール不可能な海に出続けてきたからこそ、担ぎたくなる縁起がある。だが、久しぶりのかき入れ時だというのに、佑成氏は「良がったの、今日はすぐ帰れそうだぞ」と呟くのだ。海は凪。風も穏やか。そして晴天。素人目には、漁にはベストのコンディションのように思える。あるいは、あっという間の大漁を得て早めに切り上げるつもりなのかもしれない。しかし、答えはまったくの逆だった。佑成氏はもはやずっと遠くに見える鳥海山を指差して「霧が見えっでろ、午後ぐらいには荒れっぞ」と言うのだ。「良がったの」という表現は、佑成氏一流の反語だったわけだ。「観天望気(かんてんぼうき)。天気がどうなっが、空を見で、温度どが湿気を感じで、天気を予測すんなや」。そして、その予測は見事に的中することになる。
昼過ぎになると別の船から「うさぎ、跳ねできたぞ」という無線が入る。兎が飛び跳ねるように波が立ってきたという意味だが、危険と隣り合わせの海において、漁師たちはつねに連携しているのがわかる。程なく突風が吹き荒れ、立っているのもやっとというほど、海は大時化になった。波の落差で船全体が2mほど沈んだかと思えば、しぶいた海水が舳先を勢いよく浸し、そしてまた波の力で船が2mほど持ち上がる。それでも平然と波間を見つめる佑成氏に、怖くはないのか、と尋ねてみる。「怖え。遊びじゃねあんぞ」と真剣な眼差しで佑成氏は即答した。