オフィスマルベリー

『庄内Life Village Report』の第一弾。テーマは水です。時に人に恩恵をもたらし、時に人の脅威ともなる水。二回目となる今回は、かつて先人たちが議論と努力の末に、川から水田へと水を引いた歴史をひも解きながら、時を超えて、現代の農家にどんなメッセージを送っているのか見つめます。

水を分け合うための、知恵の痕跡。

夏になり急速に成長した稲穂は、あたり一面を青々と覆っている。水田地帯・庄内の、代表的な風景だ。畦道のそばを歩くと、それまで大合唱していたカエルは身をひそめるようにして鳴き声を止める。そのせいもあってか、近くを流れる水の音が、かすかに耳まで届いてくる。農業用水が注がれているのだ。車道に面してはいるが、こんもりと盛土をした、視線より一段高い場所にあるため、多くのドライバーたちはその「分水工」には気がつかない。鶴岡市たらのき代(だい)。正式名称は「手洗沢(てみさわ)円筒分水工」という。

赤川下流域一帯の「水利」を司っている庄内赤川土地改良区の佐々木正秀氏によれば、その分水工は、昭和50年代につくられたものだという。「私たちの組織は、法改正に伴って各地の水利組合を糾合してできた組織です。かつては水害対策として治水も行っていましたが、ダム設置などによって安全度も上がり、徐々に利水へとシフトしてきた。月山から流れ出る田麦川、田沢川、梵字川、そして赤川などを国から付託されて管理していますが、『分水工』はそれら自然の河川から用水路を確保して、各水田に水を分配するための装置です」。

「堰」で川を堰き止め、平野部まで用水路を敷き、分水し、水田に水が引かれる。その自然の恵みを十分に吸収して、稲はやがて穂を垂れ、実った米が人間の生活を支える。庄内各地に置かれた「分水工」は、いわば農民たちが長い時間をかけ、水を分け合うために知恵を出し合った痕跡とも言えるだろう。「それぞれの水路や『分水工』は、現在でも地元の農家の皆さんが共同で管理しています。庄内は雪解け水が豊富な地域なので、他の地方に比べれば、争いを防ぐという意味合いは少なかったと思いますが、資源をシェアするという精神は現代にも色濃く残っているのではないでしょうか」。

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