水のトラブルの翌日には、必ず雨が降るという言い伝え。
代々、庄内を拠点に、稲作に従事してきた農家がある。創業1840年代、屋号を「板垣弥兵衛」とする板垣家だ。有限会社出羽庄内特産の代表・板垣弘志氏が、現代の農家と水の関わりについて語ってくださった。「そりゃあもぢろん、実際水どご盗むようなやづがいねわげではねなや。いまだって溜め池から水抜がれだって話はたまに聞ぐぜ。でも、そげだごどあった次の日には、だいたい雨降んなや(笑)。あど1日待ってれば良がったんさ、待でねがったんろ」。大昔には、近隣エリアで、水をめぐって鍬や鋤を使った殺傷沙汰があったという言い伝えもある。「その事件の翌日にも雨が降ったらしいよ。昔は、その地域とは交流するな、嫁をもらうな、という話もあった」。事件の翌日に決まって雨が降ったかどうかまでは不明だが、そうした「水」トラブルが厄災、禁忌として認識されていることは、実に興味深い。
高校を卒業した18歳で家業を継ぎ、農家となった板垣氏。その当時は、まだ米農家には力があった。農家同士の絆も強かった。「どごの集落さも、ボスみでな人がいだなや。そげだ人はだいたい、その集落で一番頑張て米作ってだがらって、発言力もあたし、行動力もあたなや。そげだボスが中心さなって、番水どがもやてだんけどの。若っげなは、その指示さ従って、色々やらされだなや。当時は、そうやて指示さ従ってっど、うまぐいぐごども多がったなや。いまは、そげだ繋がりも弱ぐなたんでろ」。兼業農家が増えたこと。自由化によって米価が下がったこと。年功序列の考えが薄まったこと。原因はいくつもあるのだろうが、板垣氏はどこか寂しげでもある。「水の使い方だっての、エチケットはあんなや。俺はそれを守りっでな。そげだモラルも、ひょっとすっど、ちょっとずづ失われっだ気すっぞ。そげだなは、おがしど思う」。