オフィスマルベリー

崇められ、飲まれ、里を潤し、そして水は山へと帰る。

鮭養殖の組合のひとつである箕輪鮭漁業生産組合は、牛渡(うしわたり)川のそばに孵化場を構えている。川岸のへりからは無数に伏流水が湧き出しているが、これもまた鳥海山の恩恵だ。孵化場のすぐ裏手には原始林があり、古くから地域の人々の信仰の対象となっている、湧水のみを水源とした「丸池様」がある。まるで、古代にタイムスリップしたかのような錯覚さえ覚える神々しい風景。コバルトブルーにもエメラルドグリーンにも見える池の水はあくまでも透明で、沈んだ倒木さえもがはっきりと目視できる。倒木が腐らないのは、湧水で絶えず水が循環しているからだという。この丸池様は、鳥海山の山上にある鳥海湖とつながっているという言い伝えもあり、池自体を御神体とする珍しい神社の本殿がすぐ脇に設けられている。

同じく、鳥海山からの湧水をめぐる神秘の場が、丸池様の北西約6kmの地にある「胴腹(どうはら)の滝」だ。小さな胴腹瀧不動堂の背後から流れ落ちる左右二条の滝も伏流水で、川が落下しているのではない。よく見ると、崖の「腹」から水が噴射しているのがわかる。2つの滝それぞれに味が違い、水を汲みに来た地元の人々も、コーヒー用や日本茶用など、目的に応じてペットボトルに入れて帰ってゆく。試しに飲んでみると、左は清廉でシャープな味を覚え、右はふんわりとした広がりを感じる。水温が7〜11℃で安定しているため、気温差によって、夏には霧が立ち込め、冬には湯気が上がるということだ。もちろんこの湧き水も、下流域では遊佐の人々の生活用水として使われている。

再び村井氏。「春になると、田の神が山から降りてくる行事があります。田の神とは水のこと。山の水を、感謝をしながら暮らしに引き入れるんですね」。鳥海山は水分(みくまり)の山と呼ばれている。「みくまり」の語源は「水を配る」だが、「御子守(みこもり)」とも解され、子どもたちの守り神としても信仰されている。秋になると田の神は山へと帰る。それら一連の行事では、いまでも子どもたちが主人公なのだという。

上下水道が満遍なく各家庭に普及した平成の世において、尚も湧き水を生活用水として使い続ける人々。美味しさもその理由だろう。世代を超えた習慣とも言える。だが、「山」という自然の力が、水を通じて暮らしに浸透し、利便性よりも重要視されてきたと考えた方が納得がいく。拝むだけではなく、人々の生活の中にこそ、神がいるということなのかもしれない。

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