水道さえ不要だったほどに、潤沢だった湧水。
「庄内全域でも、これほど湧水が出るのは遊佐だけです」と語るのは、NPO法人遊佐鳥海観光協会・村井仁氏。「遊佐駅周辺だけでも、自噴とポンプアップ合わせて380カ所近い場所に井戸があります。かつては小学校の飲み水も湧き水を使っていて、24時間蛇口から水を出しっぱなしにしていたし、私が通った中学校ではプールも湧き水でした。とにかく冷たくてね、あれはキツかった(笑)」。
手渡された「ゆざ湧水散歩」というタイトルのパンフレットには、遊佐元町内にある湧水スポットのマップが描かれているが、すべて生活用水として現役稼働中だ。水道が引かれるずっと以前から、遊佐は湧水によって暮らしが潤っていたのだという。「戦後、電化製品が普及したため、水圧を安定化させる必要があった。それで水道が引かれたわけです。もともとは誰も水道なんて必要としていなかった。冷たいし美味しいしね」。電気が文明の利器であることに誰も異論はないだろう。だが、もうひとつの文明の象徴とも言える水道が、遊佐においては不要だったというのだ。電化製品の使用という都合のために、水道が引かれたというのである。
では、なぜにここまで、この地域で湧水が散見できるのか。「もちろん鳥海山の恩恵です」と村井氏は即答する。標高2,236m。遊佐町を抱くように雄大にそびえる鳥海山は、1974年にも水蒸気爆発を起こすなど、活火山として知られている。1800年代には噴火の記録が数回あり、遊佐町一帯の地面には多くの溶岩が含まれている。「孔を多く持つ溶岩があたりを覆っているので、スポンジのように水を吸い込むんですね。それが地中深くに溜まって帯水層となり、さまざまな場所に染み出しているんです」。
山から里へ。水は本来、自然の摂理に従って、高い位置から低い位置へと流れ注ぐものだ。だが現代のライフラインとも呼ばれる水道は、電気という人の手によってその摂理を変えたもの。山の力が水に引き継がれ、その一部が、暮らしに分け与えられる。自然界の法則に素直に身を委ねる暮らしが、ここ遊佐には残っている。