オフィスマルベリー

喜び、哀しみ、苦しみ。ダムに込められた願い。

山形県立自然博物園から下ること34km。月山を水源とする梵字川をはじめ、田麦川、湯殿川といった河川の水を「あさひ月山湖」で食い止め、赤川下流域への水量をコントロールしているのが「月山ダム」である。1976年に着工し、竣工したのは2001年。治水はもちろんのこと、発電にも利用される多目的ダムのひとつだ。

庄内平野を南北に貫き、日本海へと注ぐ赤川の異名は「暴れ川」。その名の通り、かつては洪水が頻発する川として、地域住民を苦しませてきた。昭和に入って以降もしばしば氾濫し、住宅エリアが冠水する被害が何度も記録されている。月山ダム管理所の長南義信氏が解説する。「土中に相当量の雪解け水を含んだ土地である庄内にとって、水は恩恵でもあるし、脅威でもあった。国がダム建設に乗り出す前は、地元の水防団が知恵を出し合い、体を張って、水害に向き合ってきたと聞いています」。

そうした水との闘いの名残は、庄内のいたるところに残っている。たとえば三川町に架けられている「田田(でんでん)大橋」は、子どもたちの安全な通学路を確保するために、住民たちが県に陳情を重ね、ようやく完成した橋だ。それ以前には、川が増水すれば水中に沈んでしまう「もぐり橋」しかなく、通行止めの鎖を乗り越えて水の中を学校へ通う中学生もいたという。また、赤川に沿って三日月型の耕作地が散見されるが、それらは大半が、洪水の跡地と見て間違いない。各地に配された遊水地も、田畑から水を逃がすための工夫の痕跡だ。鶴岡市内にある水上八幡(みなかみはちまん)神社などは、水と生きる人々の願いが凝縮された祈りの場と言えるだろう。本殿は室町時代の建立とされているから、少なくとも六百年もの間、この地域の人々がいかに「水」に畏れを抱いてきたのか想像に難くない。

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