石巻水田サポート「準備編」 2018/5 庄内から石巻へ JP EN
弊社の「水田サポート事業」の最初の取り組みは、山形県鶴岡市の米農家に対する事業支援でした。そして2017年の収穫も終わった11月、弊社の役目は終了しました。支援先は、財務基盤を整え、高い評価の米づくりを継続する態勢に入りました。ささやかながら当社も資するところありではないかと思っています。
この取り組みは足掛け三年にわたり、この間に幾度か庄内を訪問した際のこぼれ話が、「庄内水田サポート」に掲載されています。
一方で、「庄内ライフビレッジレポート」は、この米農家が在する庄内地方の自然や生活を、一部なりとも忠実に描写しようと試みたレポートです。「水」の巡りを軸に、月山山麓のぶな原生林に端を発した水が、里の耕地に分配され、子らが遊ぶ水辺でホタルを育て、湧水の町で生活を支え、鰆漁盛んな海に還る様を追いかけています。地吹雪が襲う冬の庄内が新酒祭りで春を迎え、サクラマスの頃に始まる田植えシーズンが再訪したところでいったん「水」編は締めくくられます。そして次に登場するのが「土」編です。頭出しの意味で、土と伝統農法と在来野菜、腐植で挑む土づくりと資源循環についてレポートしています。
そして今般「水田サポート事業」の第二弾として弊社は、宮城県石巻市の米農家の要請に応える形で、次なる役割を引き受けることになりました。今回も、仕事の過程で出あうであろう色々なこぼれ話をスケッチしていきたいと考えています。
【 石巻と鶴岡の地理的関係 】
日本海側の鶴岡市と太平洋側の石巻市は、ほぼ同じ緯度にあって、直線距離は135キロメートルちょっとです。
自動車だと、鶴岡市から東進しながら南下し月山の南を回り、山形盆地を横断し、船形山と蔵王連峰の間を抜けてから徐々に北上するような緩やかな弧を描くルートがあって、走行距離は200キロメートルを少し超えます。
【 石巻との縁 】
2017年10月下旬、私は久し振りに石巻を訪れました。
それより以前、私が初めて石巻を訪れたのは、震災の年、2011年6月4日でした。復興支援に赴く団体に、主催者の縁で参加した石巻行きでした。 大波が襲って、去った後の町は、2か月経って、脱色された印象で、鎮まった空気の底に漂う魚介の腐臭を感じながら、茫然と、漫然と、ひけめを感じながらもそもそ動いていた自分に甚く恥じ入った訪問でした。あれから6年経った石巻湾を見て、この6年間に思いを致そうとして何も出てこない自分を、再び茫然と、悄然と、愧じています。
2017年10月下旬。久し振りに訪れた石巻の水田は、とっくに稲刈りが済んで、切り株からは新しい稲が再生していました。「ひこばえ(蘖)」というのだと米農家の方が教えてくれました。 そしてこの「ひこばえ」が、冬に飛来する渡り鳥たちの貴重な食餌になるのだということを、宮城県名取市に住んで尋常でない努力を続ける守備範囲の広いセリ農家の方が教えてくれました。更に曰く、水田生態系にはマンダラのような関連があると。ピラミッド型ではなくマンダラ型であることが重要な意味をもつとのことで、「組織防衛」とか「組織人」とかの弊害に辟易している私は、強く興味を惹かれました。
水田サポート事業の石巻編を綴っていく際、庄内では「水」の循環に意識を置いていましたが、石巻では更に「土」の消息に注意を払いたいと考えています。北上川流域の土の由来や性質に触れたいと思っています。
北上川は、流域面積10,150平方キロメートル、幹川流路延長249キロメートルの東北最大の川です。岩手県と宮城県を縦走するこの川は、宮城県登米市あたりで、北上川と旧北上川に分派します。この旧北上川の、河口へ15キロメートルあたりのエリアが、今回のスケッチの中心地です。
この地は、今や希少米となったササニシキの産地です。ササニシキはかつてコシヒカリと人気を二分するトップブランド米でしたが、平成5年(1993年)の記録的冷夏の年、この年に起こった「平成の米騒動」とタイ米の緊急輸入を覚えておられる向きもあるでしょうが、冷害に弱いササニシキの収穫は一気に減ってしまったそうです。コシヒカリの作付け面積は37.6%もあるが、ササニシキは0.5%しかないという記録があります(「水稲うるち米の品種別作付比率上位20品目(平成22年度)。「ゼロから理解するコメの基本」(丸山清明監修、誠文堂新光社、P85))。 今では希少米のササニシキですが、鮨をはじめ様々な和食によく合うさっぱりとした上品な美味しさに惹かれる料理人や消費者の方は今もいらっしゃいます。この需要に励まされ、ササニシキ発祥の地である宮城県は石巻市に、この米を守り育てている農家があります。この農家は肥料も除草剤も使わない自然栽培農法を採用しています。この農家は、近隣の同志たる農家と共用できる施設を設け、地域のササニシキ栽培のテコ入れを計画しています。私たちはこの農家の要請に応じ、その計画に賛同し、2017年から応援を始めました。
今般、この石巻の農家をサポートする過程で、幾つかのエッセイを「石巻水田サポート」として綴っていくつもりです。