オフィスマルベリー

当たり前ではない水を、未来の稲作へとつなぐ。

水田稲作が日本列島に伝わったのは弥生時代初期とも、縄文時代後期とも言われているが、それ以降、日本の食生活と「水」は切っても切れない関係にあると言っていいだろう。今日ではブランド米などの高級品をはじめ、さまざまな研究もなされている。出羽庄内特産は有機栽培と特別栽培を中心にして稲作を続けているとのことだが、やはり庄内の水あっての稲作だと板垣氏は断言する。「このへんの水は、もともど雪融げ水だがら、夏でも16℃前後で冷てなや。んだがら、うめ米でぎんなや。科学的な根拠はよぐ分がんねんども、昔から米つぐって食べできた農家がそう言うあんさげって、正しあんねが(笑)」。板垣氏は、収穫した米を東京銀座や京都祇園の高級料亭にも卸している。今後、学術的な研究がさらに進めば、出羽庄内特産の米の品質に、水がどのような影響を与えているのか明らかになるかもしれない。

いまでこそ法人化し、それなりの面積を保有して、自らが信じる稲作を追求することができるようになりつつある板垣氏。だが、かつては決して恵まれているとは言えない環境で水田耕作をしていたことがあった。「峠の方で、ちょろちょろどしか水引げねような場所でも稲作をやってだなや。んだがら、水の大切さは身にしみっだなやの。そういう意識を持て、稲作を続げねばねなやの」。庄内エリアで暮らした数百年前の農民たちは、切実な議論を経て、多大な労働力を投じて、山から平野部へと水を引いてきたことだろう。その想いを、これからの庄内はどう受け止めることができるだろうか。絶えることなく「手洗沢円筒分水工」に注がれ続ける水の量は、年間9,953,280㎥(=約0.01㎦)にも及ぶという。決して当たり前ではない、知恵の詰まった貴重な資源。それは何も語らず、けれど着々と、今日の庄内平野を潤している。

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