稲の花。真夏の静謐な営み
8月10日頃、庄内では稲の花が咲きます。花が咲くと、暑い盛夏の田面(たづら)に仄かな黄色が見え隠れします。それは、花弁の艶も芳香も無い、静かな開花です。
稲は、風や昆虫の力を借りて受粉をする植物と違って、実際には花が開く前におおかた受粉を済ませてしまっているので、コケティッシュな花は無用のようです。稲の花はまるで、米の実りの開始を人間に知らせるためだけに咲くかのようです。開花は1、2時間程度で終わり、頴(えい)は静かに閉じられます。
稲の花が咲く頃は、この植物の営みに人間は何も関与できないそうです。「田んぼに入らず、畦からじっと見守るしかないんだ」と農家の方が教えてくれました。
いつ頃か「人間の食料を生み出せるのは、つまるところ植物しかないのではないか」と思い至りました。植物だけが、光合成を使って、水と二酸化炭素から炭水化物を合成できる。そして恰も無から有を生み出すように、食料を生み出す。
そして今年、種籾(たねもみ)の播種(はしゅ)、苗の田植え、そして稲の花の開花。この一連の圃場の営みを見ながら、改めてこのことを考えています。
「食料」の特徴を確認する。
我々人間には食料が必要であり、人間は食べないで済ますことは出来ません。しかも、毎日食べなければなりません。そうかといって食べられる量は決まっています。
これが「食料の特徴」なのでしょう。
これは食料生産たる農業をビジネスとして捉える際に是非とも留意しなければいけない重要な点だと思います。この点では、衣服も家も車も医療も教育も旅行も、食料とはちょっと違うのではないでしょうか。
ビジネスでは、市場があって、そこには売り手と買い手の緊張があって、市場参加者の中には商品を買えない人も出てきます。それはそれで仕方がないことだと言われます。お金は他人より沢山持っていないと、買い負ける。だから無限に欲が働いてしまいます。
そしてビジネスには独占や撤退が許されています。自然淘汰はポジティブな現象だという訳です。
けれども、こういう事々は、先に述べた「食料の特徴」に照らして、しっくりこない気がします。農業ビジネスの寡占や独占や、はたまた撤退は、時として悪夢になりえます。
農業以外に食料を根本から生産する方法がなくて、人間は食料なしで済ますわけにはいかない以上、農業を多くの産業に一般と考える前に、確認しておくことが幾つかあるように思います。
食料は永遠に必要ですから、農業は永続性が命です。農業の効率化は、土地の疲弊を早め、食料生産の死期を早めているのではないかと思ってしまいます。
この点も「食料の特徴」に照らして考慮されなければいけないポイントです。
食料は全員が絶対に必要なのに、私たちの多くは食料生産を行わず、誰か私人たる他人にそれを任せてしまっています。空気や水ではこういうことはありません。食料だけがそうなのです。
そうである以上、私たちは、消費者として生産者に向き合う関係を超えて、協力して農業を支えていく強い動機を持つのではないでしょうか。貪欲な消費者ではなく、準生産者たること。難問だと思います。しかしこの問題に取り組むために、私たちは社会と経済と科学と知恵を学んできたのだと思います。
皆がずっと食料を食べていけるように。
命綱としての農業。
農家はなかなか土地を手放さないと言われます。
土地の値上がりを待っているからだとか、いろいろ言われます。けれどもその本当の気持ちは、それは農業さえやっていれば、自分たちの食料は確保できるということを無意識の内にも知っているからではないでしょうか。もし農業を辞めて、食料を買う方に回ったら、プールサイドから手を放し、足のつかない深みに泳いで行くような恐怖がある。そういうことを無意識に知っているからではないかと思います。
また、集落では今でも交換経済が生きていて、農作物を持っていれば、それを色々なモノや便益と交換することができる。米がまるで貨幣みたいになっている慣習に出会うこと屡々です。
特に米は、単位面積当たりの収穫量で比べると、米で養える人間の数は、他のどの作物よりも多いそうです。だから米はいわば通貨なのです。
今、農家が土地を手放すのは、高齢になって体の自由が利かなくなった時だけなのではないでしょうか。
ところで、生産者の体をみると、年齢をものともせず、実に立派でほれぼれします。泥で汚れようが、虫に刺されようが、平気の平左。納屋先や田んぼ脇で、水でザザッと洗えば大抵の汚れは落ちる。そしてまた黙々と仕事をこなしていく。
私などとても敵いません。そういう逞しさを何十年も前に忘れてしまい、今になって非常に恥ずかしく感じます。
そして、あの体と、その土地がある限り、彼らはやっていけるのです。
いろいろな不安が多い世の中、最後までやっていけるのはこういう人々なのだと、気付きました。
そして、世の中がいい感じに組み立て直されて、不安が去ったとき、はじめて農家は土地から自由になれるのではないかと、そんなことを考えました。